ソフトウェア中心の世界における知財屋の役割と価値
1.はじめに
先日より、田村善之先生の『知財の理論』(有斐閣)を読み始めました。いや、ボリュームが凄いですね。肝心の内容ですが、まずは冒頭から知財の正当化根拠とは(笑)。ツイッター等でも、何人かの方が放棄したと言っていたのも納得です。ネタとしては、かなりセンシティブな話題ではあるものの、やはり知財に関わっている者として考えなければならない問題の一つです。今年のサマーセミナー(毎年8月に北大で開催)でもここら辺の話を掘り下げるのかなと思いつつ、少し特許(特にソフトウェア関連発明)の要否論について、自分なりの考えをまとめておこうと思います。どこかのタイミングで書籍自体の雑感も公開しようとは思うのですが、取りあえず触りだけ。
2.ソフトウェア特許に関わる諸問題
実は、ソフトウェア特許に限るものではありませんが、自社にとって知的財産権の取得のチャンスがあるということは、他社にとっても取得のチャンスがあるということを意味します。あまり意識していない方も多い気はしますが、権利の対象が広がるということは、逆に他社特許に対するサーチコストが増えるということを意味しています。サーチコストが多大になりすぎるという状況は、社会的にもビジネスプレイヤーにとっての負担は膨大でしょうし、やはりケアは必要なのでしょう。
また、上述の書でも指摘されている通り、特にソフトウェア関連の特許について、パテント・ノーティス(何が特許の対象となり、何が高知技術の対象とされているのか、公衆に知らせる機能)の改善を目指すという方向性もやむを得ないように思います。
一方で、ソフトウェア特許特有の問題点としては、過大な訴訟コスト(+リスク)という点があります。これは恐らく法の予想するところではないですし、然るべき権利を有する者が正当な権利を行使する上で、間接的なコストに起因して権利行使が妨げられると言うのはやはりフェアではない気がします。この辺りに関しては、やはり行政又は司法サイドからもう少しサポートがあっても良いように思います。
3.本来守るべき技術開発と投資コスト
では、近年のソフトウェア開発において、実際に莫大な開発コストに対して、模倣が容易で保護を必要とする領域とはどこなのか。やはりユーザインターフェース(UI)のデザインや操作性の領域なのでしょう。特に重要な点はデザインにせよ、操作性にせよ、ユーザの趣向や操作の態様を調査・検討することによって、初めて生み出される価値や機能というものは確かに存在するということです。このような領域に関しては、明らかに投資コストの比重に対して模倣は容易であり、先行者利益の回収が難しくなるケースというのは間違いなく生まれてくるように思います。
昨今の意匠法の改正を含めて、意匠法、特許法、不正競争防止法、著作権法を合わせてどのような保護領域をデザインするのかという点は、今後、もう少し議論されても良いのかもしれません。やはり特許権(又はそれに準ずる権利)と言う一つの選択肢は必要な気はするのですがどうでしょうね。
4.ソフトウェア特許のない世界での弁理士の役割
以上の通り、ソフトウェア関連の特許が完全に認められなくなるということはないと思います。ただ、ソフトウェア分野の特許弁理士は、日本においてもアンチパテントへの舵取りが行われる可能性は常にあり得ると考えるべきなのでしょう。
一方で、ビジネスモデルなどを含めて、特許庁が明確に保護の方向性を打ち出している以上、制度をうまく利用するという姿勢は必要でしょうし、過度に米国を追従する必要もないと思います。
まぁ色々と書いていますが、要はソフトウェア中心(さらに言えば今後はデータ中心)の世界において、現状の制度としての知的財産制度と、本来法的な保護すべき『知的財産(価値)』にズレが生じてきているのは確かであろうということです(特にソフトウェア系の知財に関わっている人間は日々肌で感じているでしょう)。
別に私自身そこまで大層なことを考えている訳ではないのですが、この領域に関わる実務家の端くれとして常に準備はしておくつもりです。まぁ、この辺りのネタはいずれ論文にまとめようとは思っているのですが、いつになるのやら。それではまた。